ジンバブエでの生活の事や途上国や日本の教育政策の事について書いています(ここでの見解は個人の見解であり、所属団体の見解ではありません)
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 教育にお金をかけない日本政府③-教育は無償であるべきか?教育費を政府も負担すべき理由から日本の教育投資額を考える
2011年09月23日 (金) | 編集 |
前回は日本政府が教育にお金を使っていない事を色んな側面から検証してみました。今回は、教育費の民間負担割合が高い事の是非を政府が教育投資を行う理由と絡めつつ考えた後に、政府と民間を合計した日本全体での教育投資をOECD諸国と比較しつつ少し考えてみようと思います。



OECDのカントリーノートで問題視されたのはGDP比の公教育支出(政府支出)でしたが、今回はまずGDP比の教育支出(政府支出+民間支出+α)を見ていきます。国名の下の~%は、教育支出全体に占める政府教育支出の割合を示しています。
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国名の下に示した教育支出全体に占める公教育支出の割合を見ると、日本はここで示した国の中では下から二番目とかなり低い位置にいて、OECD諸国の中でも教育に対する私的負担が大きい国である事が読み取れます。この数字を見たら、きっと政治家が教育立国・科学技術立国と言い出したらどこがやねん!と突っ込みたくなると思います。しかし、「教育に対する私的負担が大きい国はダメな国だ!」とは実は単純に言えないのでこの事について考えてみようと思います。



そもそも、なぜ政府が教育に対して投資しなければならないのでしょうか?親にとって子どもに教育を受けさせる事は義務だから!教育を受ける権利を人は有しているから!でしょうか?確かにその通りです。しかし、極端な例ですが、例えば全世帯の世帯年収が3000万円を超えて、しかも親が全て教育熱心な国があったとして、このような国では政府が教育投資を行わずとも義務も権利も守られるでしょう。

そのような国でも、たとえ義務や権利とは関係がなくても政府は教育に投資すべきなのでしょうか?答えは親がどの程度教育熱心なのかにも依存しますが、政府は基本的にどのような状況であっても公教育投資を行うべきだと考えられます。

政府が教育に投資すべき理由は、個々人に教育投資を完全に任せてしまうと、教育投資が社会的に最適な水準よりも少なくなってしまうと考えられているからです。これは教育投資に社会的収益率や外部性が存在する、などと呼ばれます。以下でいくつか教育投資の外部性について具体例を挙げて、なぜ政府は教育に投資すべきなのか考えていこうと思います。



①一般的には教育を受ける事で生産性が向上し賃金も上昇します。なので、「教育を受ける事で賃金がどれだけ上昇するか?」と「教育を受けるためにどれだけの授業料を払うか?勉強している間に稼げたであろう賃金をどれだけ手放せるか?」のバランスを考えて教育投資を行う事になります。しかし、所得が上昇するという事は、その分収める税の額も多くなりそれは社会全体に対しても便益を与えます。ですが、個人が将来納める税金が増えて社会全体の厚生が上がる事まで考えて教育投資を行う、というのはあまり合理的ではありません。個々人に教育投資を完全に任せてしまうと、この分だけ教育に対して社会的に最適な水準よりも過少投資が発生してしまいます。

②後期高等教育レベル(修士・博士課程)になると、研究成果などが社会全体の厚生水準を上げる事も十分ありえます(インターネットなど)。自分が院生の間の研究の成果が社会全体の厚生水準を上げるといった所まで考えて教育投資を考える人は極めて少ないでしょう。この研究成果による社会全体の厚生水準の上昇まで考慮した教育投資が社会的に最適な教育投資の水準なので、個々人が各々の最適水準で教育投資を行うと、これも社会全体にとっては教育に対する投資が過小となってしまいます。

③教育を受ける事で将来犯罪に手を染める確率は減少します。この辺り専門分野からちょっと外れるので理論的には怪しいところがありますが、犯罪に手を染める機会費用が増加したり、もちろん倫理的な考え方ができるようになるというのもあると思います。ですが、将来犯罪をしないように教育を受ける、というのは少し奇抜な考えだと思います。しかし、社会全体で見ると刑務所に使う税金の削減や、治安改善による警察への支出の減少、経済活動のコストの減少などのメリットが考えられます。ここでも、個々人に教育投資を完全に任せてしまうと、社会全体にとっては最適な水準よりも少ない教育投資額に終わってしまうと考えられます。

④資金制約と借り入れ制約があって教育投資を行いたくても行えないケースも多々あると考えられます。このような場合に個人に教育を任せてしまって政府が介入しなければ、その人が不利益を被るだけではなく、上記の二点から政府も損害を被る事が分かると思います。個人や社会にとって最適な水準まで教育投資が行われるように、奨学金や低金利教育ローンなどで資金制約や借り入れ制約を取り除く、というのも政府の重要な役割です。

①、②、③、④以外にも、次世代の教育や保健、失業率などからも義務や権利と関係なく政府が公教育投資をすべき理由が出てくるのですが、説明していると長くなりすぎるのでここでは割愛します。以上のように教育投資には外部性がある事から、政府は教育にお金を使わなくてもいいというのも誤りだし、また教育投資は個人に便益が帰着する分もある程度あるので教育は全て無償であるべきだというのも誤りである事が分かるかと思います。個人的な見解ですが、個々人に任せた時に発生する教育に対する過少投資分や資金制約問題を取り除くための教育投資が最低限の政府の仕事で、大きな政府であれば不平等の是正のために不利な立場にある子ども達を守る所まで踏み込むべきで、それ以上は民間で出来る事なので少しやり過ぎになるんじゃないかな?と考えています。



ではここでもう一度最初のグラフに戻ろうと思います。
スライド1
国全体で教育に使う予算の最適水準がOECD諸国の平均教育予算額かそれ以上だとすると、日本は国全体で教育に対して過少投資になっている事は最初に述べたとおりです。教育に対して十分に投資が行われているのであれば、わざわざ公教育投資を増やす必要性はありません。しかし、日本は教育に対して過少投資が起こっているのに教育費の公教育投資が低い事から、やはり教育立国どこがやねん!と突っ込みを入れるのが正解となります。



2回に渡って日本は公教育投資が足りていない事を述べましたが、では一体全体どこに公教育投資を増やすべきなのでしょうか?次回は日本の教育の弱点を見つつ、公教育投資をどの分野で増やすべきなのか?を考えてみようと思います。

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