ジンバブエでの生活の事や途上国や日本の教育政策の事について書いています(ここでの見解は個人の見解であり、所属団体の見解ではありません)
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 途上国の子ども達の目の輝きと、日本の子ども達の死んだような目
2012年02月08日 (水) | 編集 |
前回の続きを書いている途中ですが、途上国にスタディツアーやボランティアに行った人達からよく聞く、「途上国の子ども達は目を輝せながら勉強しているのに、日本の子どもたちの目は死んでいる」、という言説に対して途上国は学歴社会が有効であるから子どもたちが目を輝かせて勉強している事を指摘しているのをTwitterで見かけて、面白いと思ったので少し自分の意見を書いてみようと思います。



まず、途上国が学歴・学校歴社会であるか否かですが、学歴が社会的地位を決定する所までは行かないにしても、日本と比較した場合、途上国の教育収益率は極めて高い事が実証されています。これには様々な理由があるのですが、大きな理由としては就学率の違いが挙げられます。就学率が低い途上国では教育を受けた労働者が貴重であり、日本の状況と比べてその希少性が高いために、教育の収益率が高いと考えられています。

さらに、教育需要の制約要因としては、学力要因と資金要因が挙げられます。途上国の場合、供給側の制約に加えて(学校がない)、まだまだ資金要因で進学できないケースが極めて大部分を占めるため、学力要因が進学制約となるケースが日本と比べると少ない印象を受けます。つまり、奨学金やNGOからの支援さえ得られれば、大きなチャンスを掴む事が日本と比べれば比較的容易だと考える事ができます(奨学金を得るのが難しいのですが…。)。

さらに、親が教育を受けていない=教育の価値を理解できていないケースが大半を占めるため、日本のように勉強しなさいと親や教師に言われるケースも少ないと考えられます。この辺りは家事労働や年少の兄弟の育児のために学校に行けない子ども達がまだまだ沢山いる事からも分かるかと思います。

つまり、途上国の子ども達にとって勉強する事は、アメが極めて大きい一方、アメ争奪戦が激しくなく(最近はネパールのように激しい国も出てきていますが)、かつ親によってムチを振るわれる事も稀である、と考えられます。



勘の良い人は既に気づいたかもしれませんが、日本の状況は途上国のこれと対極的な印象です。まず、日本の教育収益率ですが、教育投資は一般的な投資よりも遥かにリーズナブルな投資とは言えますが、途上国の教育収益率と比べると前述の理由によりどうしても小さくなってしまいます。

さらに、随分昔に存在した受験戦争という言葉が示すように、学校歴を得るための競争は日本ではとても激しく、良い大学に行けたとしても、勉強に費やしたコストの大きさを考えると、その便益は途上国のそれと比べると小さくなってしまいます。加えて、日本はアメリカのような国と違って授業料の安い国立大学が人気校であるため、資金制約による競争の歯止めが利かない事も競争を激化させていると考えられます(これ自体は良い事だと思います)。

また、「ゆとり」が蔑称として使われるように、日本では勉強をしていない事は社会からも厳しく非難されますし、親や教師から勉強しなさいと言われる程度や頻度が途上国の比ではない事は容易に想像がつくと思います。

しかも、学歴なんて意味がない、と平然と言ってのける人がある程度いるので、教育の便益が子ども達にとって明白なものではなくなっている印象を受けます。そして、http://bit.ly/xX6AgXを見ても、そのような大人は多そうな事が想像されます。

つまり、日本の子どもたちにとって勉強する事は、アメが小さいだけでなく、その争奪競争も極めて厳しいにも拘らず、さらに大人達によってそれが見えづらくされ、ムチだけは振るわれる事、と考えられます。


確かにこの現象の原因は、専門外なので当てずっぽうですが、核家族化の進行による家族数の減少・少子化に伴う友達の数の減少・カリキュラムといった辺りにもあるのではないかと思います。しかし、日本の子どもたちはアメが殆ど無い中ムチを振るわれ続けているのは事実です。経済発展と教育開発が進み教育の収益率が減少する事や学校歴獲得競争が厳しくなる事によるアメの減少や、経済の発展や少子化によって子ども1人あたりに対する教育投資が増加しそれと共にムチが強くなる事は、構造的な問題なのでなかなか解決は難しいと思います。

ただ、教育や学歴なんて意味がないと嘘をつき、わざわざアメを見えづらくして追い討ちをかける事はないと思います。もし途上国に行かれて、ここの子どもたちの目は輝いているのに日本の子どもたちの目は死んでいる、日本の教育を何とかしなければ、と思われたなら、まずは子どもたちに高卒/大卒の収入の違い・失業率の違い・婚姻率の違い・医療コストの違い・犯罪率の違いや学校歴別の収益率の違いを調べて、身近な子どもたちに教えてあげてアメを見やすくしてあげる事は、日本の子どもたちの目を途上国の子どもたちの目のように輝かせるために手軽に出来る大事な事だと私は思います。
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 人権としての教育、投資としての教育(前編)
2012年02月01日 (水) | 編集 |
再び、JPO派遣候補者研修を受けての感想です。研修の中で国連システム全体での援助計画(UNDAF:United Nations Development Assistance Frameworks)の策定の仕方を勉強しました。世界銀行も同じような援助計画(PRSP:Poverty Reduction and Strategy Paper)を策定しているので、研修の中ではこの二つを比べてそれぞれの長所短所を学びました。

国連のUNDAFと世銀のPRSPの長所短所はややJudgement Callな所がありますし、自分自身の判断で何か言えるほどこの業界に精通している訳でもないので、この点は置いておきます。ただ、教育分野の人間としてこの二つの援助計画を見比べると、なかなか面白い点が浮かび上がります。それはPRSPでは投資としての教育、UNDAFでは人権としての教育、という側面が強く現れる点です。もう少し具体的に言うと、PRSPの中には「Poverty」や「Growth」という単語が頻出する一方、UNDAFの方にはこれらの単語は殆ど出て来ず、代わりに「Rights」という単語が良く出てきます。大学院での専攻も含めて、この5年間投資としての教育側に身をおいていましたが、この度人権としての教育側に移籍するにあたって、学部時代に国際教育協力分野の教科書で習った事が実際に感じ取れて、とても面白かったです。



この投資としての教育と人権としての教育の違いを実際に感じ取れるのは確かに面白いのですが、自分自身のキャリアプランを考える上では相当にめんどくさい事が起きているのも、また事実です。これを少し説明しようと思います。

1990年のジョムティエン会議を契機に、教育に対して人権アプローチを取る国連システムと、経済アプローチを取る世界銀行グループの考えが、基礎教育の完全普及で一致し「Education for All(EFA)」の流れが生まれ、これが変質しMDGs:Millennium Development Goals(国連ミレニアム開発目標)のGoals2「初等教育の完全普及(UPC:Universal Primary Completion)」とGoal3「教育におけるジェンダー格差の解消」となりました。人権的に初等教育の完全普及と教育におけるジェンダー格差の解消が重視されるのは分かるかと思いますが、投資として初等教育の完全普及とジェンダー格差の解消が重視されるのは何故でしょうか?これは、初等教育と女子教育の収益率が高いためです。収益率が高いというのは、コストと便益の両面から説明されます。

まず初等教育の完全普及のコスト面から説明します。これは小学校と中等教育の職業訓練校を比較すると違いがよく分かります。多くの国では小学校の教員給与は中学校や高校より安く、かつ実習にまつわる費用が殆ど発生しないために、基礎教育のリカレントコストは職業訓練校のそれと比べて安上がりになります。さらに、小学校は職業訓練校で必要とされるような大掛かりな設備も必要とないので、キャピタルコストが格段に安上がりとなります。次に便益面を説明します。現在アメリカで第二次産業が流出し、第二次産業従事者に男性が多いため、男性不況などとジェンダーの分野で言われるように、グローバル化の進展と共に第二次産業を中心に中等教育程度の職業訓練はその教育成果を生涯にわたって発揮できる可能性が低くなっています。しかし、初等教育で学ぶ3Rs(読み・書き・計算)はどこの国のどの分野で働いても必要不可欠なものですし、初等教育の学習成果はlearnabilityの基礎となるため、初等教育の効果はほぼ何が起ころうとも生涯にわたる物となります。これらの事から、初等教育は他の教育段階と比べて教育の収益率が高くなるケースが大半を占めます。

次に教育におけるジェンダー格差の解消です。コスト面については、特に男女間の賃金格差が大きい国では、教育を受けるための放棄所得が男子よりも女子の方で小さくなるため、女子教育の方がコストが安くなります。女子教育の便益は様々な物が挙げられるのですが、代表的なものとしては出生率の低下・子どもの高学歴化・子どもの健康状況の改善、と言った物が挙げられます。このように、女子教育はとりわけ社会的収益率が高く、コスト面の安さと相まって、女子教育の収益率は高いと考えられています。

このように人権側も経済側も利害関係が一致しているので、国際教育開発業界では少なくともMDGsが終了する2015年迄、双方の目標が大きくずれることはなさそうです。ですが、2015年以降は正直良く分かりません。ちょっと書くのに疲れたので、2015年以降に投資としての教育と人権としての教育の目標がずれる可能性、その日本への示唆は次回に回そうと思います。
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